優生学と倫理と諦念と

優生学についてちょろっと調べていたが、優生学を進めたい人は「優生」側に回りたいとか「判断」側に回りたいんじゃなくて、むしろもう諦めがついてるからそこに希望というか断罪というかを託したいんじゃないかとか。私はあきらめがついてるし、どうせそうじゃなくても社会的に淘汰されるから優生学が危険と言われても(ふむ……? 現状でも十分差別は行われているし大義名分が与えられるかどうかの違いでは……?)となってしまう。

多様性が大事なのはわかる。大局的に見てそれが種の保全に関わるのは分かる。現在の「社会」という枠組みで評価される項目で固めたら簡単に死ぬのは分かる。でもそれで生まれてあまりにも現在の「社会」で評価されない人間はどうしたらよいのだろうか? 無論それを保護するための、そうであっても生きていけるための仕組みが必要なんだろうが……なんというか、「ニートは殺せ」と「多様性は大事」とか人間から出てきた時点で多様性が貧乏くじにしか聞こえないというか……。多分勉強すればまた違う意見を持つのだろうなとは思う。

 

「完璧なヒトを作るには、まず先に完璧な社会学が必要」

「自分が無能なのを遺伝のせいにしたいだけでは? 障害者に嫉妬してるのでは?」

「多様性と言われても俺が多様性のために貧乏くじ引いてくださいと言われたらぶち切れるぞ」

「人が滅びて何か問題が?」

ここら辺の意見はクリティカルだなと思った。雑な盗用です。